『熊野速玉大社』 和歌山県新宮市
熊野本宮大社を後に熊野川右岸を50分程河口に向かい、熊野速玉大社に向かいます。
熊野本宮大社から国道168号➡国道311号線➡168号線➡国道42号線経由「速玉大社前」交差点で左折。目の前に朱の大鳥居が見えてきたら右折、東門駐車場に向かいます、ここまでの移動時間約50minです。
駐車場はそれほど広くはなく、到着した時には空きを待つ車で列が出来ていました。
こちらの駐車場、神門前に直接入れるため混むようです、しかし駐車場入口から右方向に未舗装の細い道がありそちらへ進む。
本殿後方にあたり、熊野川の堤防が目の前に迫る未舗装の駐車場ですが難なく駐車できました。
熊野本宮大社辺りの熊野川の川幅は結構広かったけれど、河口に近いこの辺りに来ると更に川幅は広がります。
写真は駐車場前の堤防道路から河口方向の眺め、手前に架かる橋は新熊野大橋。
駐車場から正面の太鼓橋のある大鳥居に向かいます。
写真はその途中にある川原屋横丁、参拝客向けの飲食店が連なります。
朱の太鼓橋と大鳥居。
左に「熊野大権現」、右に「熊野速玉大社」社号標。
参道付近の世界遺産「熊野速玉大社」解説
「熊野速玉大社は神倉山の霊石「ゴトビキ岩」を御神体とする自然崇拝を源として、「ゴトビキ岩」に降臨された熊野三神(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子)を西暦128年に神殿を建て祭祀した事から始まる。「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、全国の熊野神社の総本宮として崇敬される。
境内には椥の大樹や国宝古神宝類も奉納されている。」
下は「熊野古道案内板」
熊野本宮大社は地図の上端、熊野速玉大社は下端の位置関係。
流長180㌔を超える熊野川も少し行けば熊野灘は近い。
大鳥居
コンクリート製の朱も鮮やかな両部鳥居。
「熊野権現」の扁額。
2004年にUNESCOから「紀伊山地の霊場と参道」として世界遺産に登録された。
それを構成する一つが熊野速玉大社。
「速玉」?、しぶきを表すとか諸説あるようですが、何れも生命の根源である水の動きを神格化したものの様です。
鳥居から参道を進んだ右に赤い鳥居と春日造りの社が2社。
右が八咫烏神社
祭神は建角見命
熊野速玉大社末社で丹鶴山麗に古くから奉祀されていた、神武帝の道案内をしたと古典に記され、熊野神の使者とも云われ、交通安全、招福の御神徳が高い。
左が鑰宮 手力男神社
祭神は天之手力男命
延喜式神名帳に紀伊國牟婁群手力神社とある古い社、元は神門内に祀られていたが813年(弘仁4)に現在の社地近くへ遷り明治40年に新宮神社に合祀、武道、健康、開運の御神徳が高い。
参道と奉八度の記念碑
「日本第一大霊験所として古来各地からの参拝が多い、石碑は表に「奉八度参詣 奥州南部八戸領久茲八日町 吉田金右衛門」、右側面に「宝永5年(1507年)子7月日」と刻まれている。
熊野信仰を物語る貴重な遺物である。」
この時代に八回参拝とは、それ程に人を引き付けるものがあるようだ。
樹齢1000年を超えると云われる御神木の椥(ナギ)の木。
古来から熊野は祈りの聖地として憧れの異界。
椥の葉は霊威ある御守りとして大切にされてきた。
平重盛お手植えと云われ、左右対称の葉の形から夫婦円満のご利益があるとか。
参詣曼荼羅
世界遺産登録を記念し作られたもの。
熊野速玉大社を中心に、右に本宮から熊野川を下る川船や熊野灘から船で訪れる人々、左上には神倉山のゴトビキ岩が描かれ甦りの熊野詣の様子が描かれています。
自然信仰から神道へ移り変わっていく熊野信仰。
六世紀に仏教が伝わると神仏習合が進み「熊野権現信仰」として全国に広まっていきました。
「権現」とは、神が仏に姿を変え、人々を救うため現れるという意味で、過去・現在・未来を救済する霊場として熊野は広く人々に受け入れられ、強者弱者、地位や善悪、信不信にかかわらず、別け隔てなく救ってくれる神仏として民衆に崇敬されます。
それ故に人々は難行を承知の上で滅罪と救いを求め熊野をめざし旅に出ます。
「次左です、間もなく目的地周辺です」なんていう今の時代とは違い、命を懸けた旅立ちだったと思います。
煩悩にまみれた自分を見つめ、清めるために訪れ、初期化してもらう、「甦りの地」と云われる由縁なのかもしれない。熊野古道はそうした人々により付けられた道。
訪れた当時は改修中で全容は見れませんでしたか、神宝館では貴重な所蔵品が公開されています。
参道は右に折れその先に神門が現れます。
手前には高く積まれた台座の上に狛犬と右に手水舎。
狛犬
阿形の後方が東門駐車場、ここから参拝に訪れる方が大半を占めます。
見あげる高さから遥か先を見据える狛犬。
神門と手水舎
龍口が個性的、象の鼻のように突き出た先端から清水が注がれ柄杓で受け清めるのでしょう。
コロナ禍、柄杓もなく、清めも出来ないので龍も抜け殻となりお休みだ。
手水舎の右奥に鳥居がある。
熊野稲荷神社、こちらも春日造り。
神門左の大禮殿
コンクリートの入母屋造で綺麗なもの。
神門
長い歴史を持つ熊野速玉大社ですが現在見る伽藍は比較的新しいもの、1883年(明治16)に火災で社殿を焼失します。
それが再建されたのは1967年(昭和42年)という、なので伽藍は全て新しく中にはコンクリート造りのものも多く、古い社殿をイメージして訪れると随分ギャップを感じる。
とはいえ、朱で彩られた社殿は周囲の杜の中にあって荘厳な印象を与えてくれます。
神門の大きな注連縄と「全国熊野神社 総本宮」の額。
細かな装飾はないけれど優美な姿の門。
神門内に飾られている素木の彫飾りも古さを感じない、過去の災いから蘇り、現在、未来に向かい味が深まっていく過程の姿でしょう。
菊紋が輝く神門の先に社殿が広がります。
正面に見えているのが上三殿。
境内右からの朱に彩られた社殿全景。
社殿は大きく七つに分かれ、手前から下四社、中四社、上三殿、速玉宮、結宮と連なっています。
下四社は国狭槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、大戸道尊、面足尊。
中四社は天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合命。
上三殿は家都美御子命、国常立命を祀る「証誠殿」、第四殿は天照大神を祀る「若宮」と高倉下命を祀る「神倉宮」の3社相殿。
速玉宮は熊野速玉大神 。
結宮は熊野夫須実大神が祀られる。
速玉宮拝殿、コンクリート造り建物。
参拝の順番を待つ人の距離感に意識の高さを感じます。
さて私達もここに加わり参拝。
速玉宮、祭神は熊野速玉大神。
蘇りの力を垂れ給う熊野の父神、病気、苦しみ、業を祓う過去世の守護神。
左が結霊宮(結宮)、祭神は熊野夫須実大神。
万物を生み成し給う熊野の母神、万物を生み成し給う熊野の母神。
願望成就、現世の守護神。
そして中央に「日本第一大霊験所、根本熊野権現拝殿」の額。
下四社から上三殿社殿。
朱塗の流れ造りの社殿は目にも鮮やかです。
拝殿から下四社方向の眺め。
境内左の参集殿。
後方の山並みは神倉山に続きます。
熊野速玉大社由緒と熊野御幸解説。
907年から1303年にかけ上皇、女院、親王を含め140回の皇室の参詣があり、これを熊野御幸というそうです。
御幸の道順は京都、住吉、和泉、紀伊半島海岸線沿いに南下し田部、中辺路、本宮を経て熊野速玉大社に参拝、那智山、雲取、本宮の往路を逆行して帰京される、およそ二十数日に及ぶ旅だった。
熊野御幸により公卿武士、庶民の間に流布し、熊野水軍を持つ熊野三山の忠誠心の助長につながり京と熊野の交流に大きな影響を与えた。
境内右手の東門の脇に二つの鳥居。
左の石の鳥居のある社は新宮神社。
白と朱のコントラストが綺麗な社殿。
詳細は不明、境内にあった金刀比羅宮に新宮町内の末社を合祀したものだという。
右の赤い鳥居は熊野恵比寿神社。詳細は不明。
御朱印を手に満面の笑顔のかみさんと合流、さて次に向かいますか。
目指すはこの先の神倉山です。
熊野速玉大社
主祭神/熊野速玉大神/熊野夫須美大神
創建 / 伝 景行天皇58年
住所 / 和歌山県新宮市新宮1番地
熊野本宮大社から車アクセス / 国道168号➡国道311号線➡168号線➡国道42号線経由「速玉大社前」交差点で左折 約50分程
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